XX on my mind

ついつい気になる、なぜか好きなあれやこれやの備忘録。

Odessey&Oracle / The Zombies (1968年 UK)

The Zombiesについて

成り立ち

以下、ゾンビーズ

まず登場人物をまとめておくと…こんな感じ。

 

  • ロッド・アージェント キーボード
  • コリン・ブランストーン ボーカル
  • ポール・アトキンソン ギター ※2004年逝去、オリジナルメンバー
  • ヒュー・グランディ ドラム ※存命だと思うが、今はスティーヴ・ロッドフォードがドラム
  • ポール・アーノルド ベース※割とすぐ脱退
  • クリス・ホワイト ベース
  • テリー・アーノルド ポールのお兄ちゃん。マネージャー、ブッキング担当。

 

ゾンビーズの歴史は、1961年にイングランドハートフォード州にある小さな町「セント・アルバンス」から始まる。

中心人物はロッドで、当時16歳。ポール(15歳)、ヒュー・グランディ(16歳)と放課後に趣味でバンド的なことをしていたらしい。

 

ちなみに、ロッドはクラシック(バッハ、ラヴェル!)、ジャズ(ビル・エヴァンス)が好きだったんだとか。プレスリーをきっかけに、ロックにハマっていったと。

さらに遡ると、子どもの頃は聖歌隊にいたらしい。

 

1961年の春、ロッド、ポール、ヒュー、ロッドの親戚のジム(ベース)でバンドを組んでいて、その後にロッドの友人で別の学校に通っていたポール・アーノルド(ベース、以下アーノルド)が加わった。

そして、アーノルドの同級生だった、コリン・ブランストン(ボーカル)が加わって、本格的にバンドの形に。

 

ちなみに、親戚のジムは、元々はブルー・トーンズという別のバンドを組んでいたけれど、脱退したんだとか。わざわざ。

そしたら、アーノルドが加入って!

調べても出てこなかったけれど、the bluetonesはここからとってるのかな?それともイギリスだとよくある名前?なのか?

The Bluetones - official website & online shop - News | Gigs | Vids | Merch

 

さらにちなむと、ジムはゾンビーズには加入してないものの、解散後のアージェントに加入していたり(名前の通りで、ロッド・アージェントのソロプロジェクト)、キンクスの4代目(というか最後の)ベーシストでもあった。

2018年、76歳で亡くなっている。ご冥福をお祈りします。

 

話を戻すと…

コリンは、当初はギターを担当するはずだったが、演奏がいけてない。が、声が良かったのでボーカルに。

 

ロッド、ポールはもともとピアノとギターをやってたそう。ロッドは労働者階級出身で、お父さんはエンジニア…をしつつ、セミプロでバンドをしていたのだとか。

直接教わることはなくとも、幼少時からピアノを聴いていた、弾いていたのだとか。ポール(マッカートニーの方)とちょっと共通点。

 

ヒューはドラムはど素人だったらしいが、ジムが教えてくれたんだとか。アーノルドは頑張ってなんとかなった。

バンド名は、ムスタングス→ゾンビーズR&Bゾンビーズと変遷。

 

アーノルド兄(テリー)がブッキングをしてくれていた、、が、翌年1962年にはアーノルド脱退。後任のベーシストは、クリス・ホワイト。

Wikipediaでの内容はペラペラだが、ソングライターとしても活躍。限定生産の作品集CDも発売されてる。

 

1963〜1964年は、ビートルズのカヴァーなどを地元のコンサートで演奏して、人気を獲得。なんか、手堅い!

1964年のハーツ・ビート・コンペティションに出場して、グループ初のオリジナル曲「it's alright with me」などを演奏して見事優勝。

- YouTube

 

結果が出る前から、スカウトの声が複数かかったんだとか。これをきっかけに、プロ志向へ。

 

プロ〜アメリカにて…

で、どこに所属したかというと…デッカ!ビートルズがオーディションで落ちた、あのデッカ。スモール・フェイセスと、ザ・フーガ所属していたあのデッカ。

 

コンテスト終了後、一カ月でShe's not thereを含む4曲をデッカのスタジオでレコーディング。これはデビューシングルとして、1964年7月にリリースされている。

ビートルズのハード・デイズ・ナイトが上映された頃。

 

ちなみに、ビートルズのHelp!でも使われた小さなグランドピアノ「ピアネット」が使われているんだとか。

She's not thereは、イギリスで12位。アメリカでは2位!ブリティッシュ・インベンションだ!

ジャズ色が強くて、コリンの独特な歌声がかっこいい。

 

セカンドシングルの、Leave me beは売れず…

デッカ的には、ファーストがまだホットなうちに稼げるだけやってやれー!みたいな思いがあったのかどうか知らないが、メディア出演やらコンサートやら大忙し。

 

1964年11月には、ファーストアルバムの「Begin here(発売は1965年4月)」のレコーディングを開始。

が、しかし、曲数が足りず、アマチュア時代のナンバーである「You've really got a hold on me」、「I got my mojo working」やインストもin。mojoはロッドがボーカル。

 

ややこしいけれど、1965年1月にはイギリスに先駆けてアメリカでデビューレコード「The Zombies」も発売。アメリカでは、トップ40にランクインしたとか。

イギリスでも、「Tell her no」がヒット。こちらは、イギリスでは42位。アメリカでは6位。

 

イギリスよりもアメリカで人気なのは、イギリスはビートルズがものすごかったから??アメリカでも同じか…

なんというか、若者ウケはしなさそう。大人向けって感じだもんなぁ。。

 

グッバイ、デッカ

イギリスでは、なかなか人気が上がらない。

 

バニー・レイクは行方不明(1965年)では演奏シーンが観られたり、サントラにももちろんゾンビーズの曲が入ってたり、ロッドはダスティ・スプリングフィールドの依頼で作曲したり…とバンド周辺で色々と動きはありつつ、なかなかチャートインしない。

 

ジョン・レノンゾンビーズをプロデュースしてみたいと言ったり、ジョージもshe's not thereを褒めたり、同業には評価されてたみたい。

 

が、しかし。結果は…

1967年3月リリースの「Going out of my head」を最後に、デッカとの契約終了。

 

この曲は、リトル・アンソニー&ジ・インペリアルズというアメリカのR&Bユニットのカヴァーであり…1966年1月にゾンビーズがリリースした「Remember you」がこけた時の打開策だったのだとか。

選曲はメンバーだけど、アイディアはマネージメント側。

 

ハロー、CBS。そしてOdesseyへ

次に所属したのは、CBSアメリカのレコード会社。

 

1967年6月には、新しいアルバムを作り始める。デッカの時には、ケン・ジョーンズという人におまかせだったけれど、今回はもう自分たちでやりまっせとメンバー5名で考えたそう。

中心は、ロッドとホワイト。

 

そして、このアルバムが!Odessey&Oracle

リリースは1968年の4月。

 

が、しかし、この時にはすでに解散済み。理由は諸説あって、人間関係の悪化、印税収入のあったロッドとクリス以外は生活が苦しかったこと、今後売れる未来が見えなかったこと……など。

 

一番最初に辞めるわ!と言い出したのは、コリン。1967年には辞めてたんだとか。次いで、ポール。

とにかく、Odessey〜のレコーディング中には、解散は決まっていたことだった。

 

そしてそして、残念ながらOdesseyもさほど売れず。これはもう終わりですなと思いきや、アメリカで「Time of the season」が全米3位の大ヒット。

日本でも日産ティーダのCMに使われていた。2005年。

 

解散した後のヒット、、の余波?で、アメリカでは偽ゾンビーズがテレビに出たらコンサートをしていたらしい。分かるでしょうと思うけどねえ。

 

CBSは、これはチャンス!と、ロッドとクリスに再編を打診したものの、2人とも新バンドに忙しくてNO。

YESだったとしても、コリンのボーカルなしでは厳しかったのでは。

 

と、いうことで…

活動年数は実質4年。再結成はさておきとして。

そして、アルバムは2枚だけ!短ーい。

 

が、それだけでは終わらない。

 

2004年には、ロッドとコリンでデュオとして活動。事実上の、再結成。

2019年には、ロックの殿堂入り。

 

2023年には、新アルバム「Different game」をリリース。ロッド、コリン共に77歳?かな?元気。

美しいアルバム。CD、レコード共にぼーっとしてたら買い逃してた。

 

Odessey&Oracleの中身は??

たどり着けなかった。

一旦こちらで。また後日。